“いつもと違うにおい”を解き明かす、食品のオフフレーバー研究一般社団法人オフフレーバー研究会 佐藤 吉朗会長

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目次

食品業界を脅かすオフフレーバー問題

ーそもそも「オフフレーバー」とは何ですか。

オフフレーバーとは異臭のことです。人は食品などに対し、その物ならではの“においのイメージ”を持っていますが、「いつもと違う」と感じた時、そのにおいをオフフレーバーといいます。

たとえば冷蔵庫にある牛乳を飲もうとしたら、レモンのにおいがしたとします。これはレモンのにおいが牛乳に移ったオフフレーバーです。「移り香」というものですね。レモンの香り成分であるリモネンは、牛乳パックの内面を覆うポリエチレンを透過するので、未開封でもにおいが移行します。

ー食品業界では、以前からオフフレーバーが問題とされているようですね。

はい。健康に直接影響があるわけではありませんが、食品のにおいが消費者に与えるイメージは、想像以上に大きいものです。消費者が感じたにおいに正しく向き合っていかなければ、商品のイメージや売り上げに影響を受けることになります。またオフフレーバーの原因を特定するのは難しく、原因究明のため高額な設備投資が必要となる場合もあります。

ー実際に起きたオフフレーバー問題の事例を教えてください。

ある飲料メーカーで、ウイスキーから「カビのにおいがする」と問題になったことがありました。当時は、消費者からウイスキーが次々と返品され、倉庫内が山積みになるほど深刻な状況だったようです。

カビのにおいの原因は、防カビ剤が木製パレットに存在していたトリコデルマというカビによって変換されたためでした。現在ではほとんど使われませんが、ウイスキーをフォークリフトで運搬する際に使う木製パレットに、TCP(2,4,6-トリクロロフェノール)という防カビ剤が塗られていました。しかし、このTCPが原因となり、TCA(2,4,6-トリクロロアニソール)という“カビ臭”を放つ化学物質に変換されていたのです。

TCAによるにおいは強烈で、同じ倉庫内にある別のウイスキーやコルク栓などへ、カビ臭が拡散してしまいました。このTCAが非常に厄介なのは、わずか1ppt程度の極微量でもにおいを感じるということです。

ーたったの1pptですか!?

そうです。1pptといえば1兆分の1ですので、たとえば縦が1000m、横が100m、深さが10mの湖に、食塩1gを溶かしたくらいの濃度です。体に害があるわけではありませんが、閾値(においを感じる最小の量)がとても低いため、ほんの少しの量でもにおいを感じます。

ー原因物質を特定するのは難しそうですね。

はい。TCAによる問題は、防カビ剤を使用していなくても起こります。たとえば、バナナを輸入する際に、バナナに含まれるリグニンと消毒に使われる次亜塩素酸などが化学反応を起こし、TCAが発生するケースです。

これらのケースでは、商品に原因物質を使用していたわけではなく、消費者に届くまでの周辺環境に起因してオフフレーバーが発生しました。何が原因で発生するかわかりにくいオフフレーバー問題の難しさが伝わると思います。

ー食品業界では、オフフレーバー問題に対してどう対処していけばいいのでしょうか。

食品業界では、製造から流通、販売、消費者が口にするまでの間において、オフフレーバーの正しい認識を持つことが非常に重要です。特に食品衛生を担う品質管理部門の担当者には、オフフレーバーに対する経験や知識が求められるでしょう。

ただし、オフフレーバーの情報は、なかなか入手しにくいことがあります。食品業界などでは、風評なども懸念されるネガティブな情報なので、積極的に公表しにくいからです。

とはいえ、個々の企業だけでオフフレーバー問題を解決するのは困難です。問題に対応していくためには、会社や業界の垣根を越えて、経験や知見を共有していくことが重要だと考えています。オフフレーバー研究会では、参加者がもつ経験や知見を報告しあい、情報の性質にも配慮しながら、オフフレーバー問題について議論できる場となっています。

ー佐藤先生は、オフフレーバー研究会の会長を務めていますが、研究会ではどのような活動をされていますか?

オフフレーバー研究会では、毎年1回勉強会を開催しています。その勉強会には、現在、食品や飲料メーカーを中心に、自動車、建設、製紙、包装などさまざまな業種の方が参加しています。2023年で13回目となりました。毎回、全国から200名弱の方が集まり、これまでの参加者はのべ2000人以上になります。オフフレーバー研究会の認知度も大分上がってきたのではないでしょうか。今後もいろいろな方々と情報共有することで、オフフレーバー問題の解決につながっていければと考えています。

食品メーカーでにおいの大切さを学び、大学教授の道へ

ー佐藤先生は、学生の時にどんな研究をされていましたか。

農学部の農薬学研究室に所属し、植物ホルモンの研究を行っていました。植物が花を咲かせたりする、生殖成長に関与するホルモンに焦点を当て、原始的なシダ植物を用いた研究です。

ー博士課程修了後、食品メーカーに入社したきっかけは何ですか。

当時は、植物の遺伝子工学が流行り始めた頃で、私もそのような研究をしたいと思っていました。しかし、担当教授から、明治乳業株式会社(現:株式会社明治)で有機化学系の人材を探しているから、私に行ってくれと…結局、断り切れずに入社しました。もともとは、4年で大学を卒業して農林水産省に行くつもりでしたが、教授に勧められて大学院に進学したのと同じパターンですね。自分で決めたわけではないというのが正直なところです。

ー食品メーカーではどのような仕事をされていましたか。

最初は腸内細菌や医薬品の開発に携わり、その後、特定保健用食品の開発に移りました。成分の効果を明らかにする必要があり、乳酸菌を生産するビフィズス菌増殖因子を発見するような仕事です。

しばらくして、私に化学分析のスキルがあったためか、明治乳業の主力である牛乳の品質管理部門に配属されました。現在も専門とする食品衛生学の分野に、本格的に関わることになったのはこの時からです。

ー品質管理部門での食品衛生の仕事はどうでしたか。

一般的に食品衛生で重要なことは、食中毒や食品添加物、農薬などの問題をイメージすると思います。しかし、食品製造において問題となっているのは、オフフレーバーといった、食品の品質に関わるものがほとんどです。実際にお客様から毎日のように、においの相談が来ていました。

「においがおかしい」といった相談が来たら、実際ににおいを嗅ぎ、GC-MSという分析装置を使って、においの正体を突き止める。その繰り返しでした。実際に夏になると、牛乳の脂肪成分が酸化されてヘキサナールといった物質が自然に発生することがあります。毎日、牛乳を飲用されているお客様の場合、昨日と今日の風味が異なるといったことがわかるわけです。食品の品質管理をする上で、においの問題にきちんと取り組んでいかなければならないと、実感しました。

ーその後、東京家政大学の教授になられましたが、どのような経緯だったのでしょうか。

明治乳業で12年ほど品質管理部門で業務を行っていたところ、外部の知り合いの先生からお声がかかり、東京家政大学で食品衛生学を教えることになりました。また、当時参加していた公益社団法人日本食品衛生学会を通じて、食品衛生の権威である方から、オフフレーバー研究会の会長を打診され、今日に至るわけです。

ー東京家政大学ではどのような研究をされていますか。

主に食品のにおいに関する研究をしています。食品中に含まれるオフフレーバー成分をGC-MSを使って分析しながら、原因物質の同定や解明をしています。

たとえば、飲料のにおい移りに関する研究として、未開封の紙パックのオレンジジュースから、同じく未開封の紙パックのお茶や牛乳に、オレンジジュースのにおいがどのように移るのかといったものです。また、牛乳中の異臭物質として知られる2-ヨード-4-メチルフェノールを同定するなど、牛乳の異臭問題にも取り組んでいます。

ーオフフレーバー以外のにおいの研究もされていますか。

はい。その食品ならではのにおいの研究もしています。たとえば、食品に使うスパイスのにおい成分を、オレンジジュースに加えるとどうなるか、といった研究です。スパイスのにおいの成分を蒸留して集めた後、においがしなくなるまで希釈していきます。そのちょうど臭わなくなる時の濃度の液体を使って、オレンジジュースに加えると、オレンジジュースの味がまったく違うものになるんです。

こういったことが食品では起こり得るので、いろいろなものに添加して食品開発に役立てようと考えています。

においの共通認識を可能とする「オフフレーバーキット」を共同開発

ー佐藤先生は、当社とオフフレーバーの嗅覚官能評価に役立つ「オフフレーバーキット」を共同開発されました。その経緯や理由を教えてください。

オフフレーバーキットは、代表的なオフフレーバーを覚え、そのにおいの質を判定できるようにするために開発した学習用の試薬キットです。

においは、人によって認識がさまざまであり、言語化するのが難しい感覚的なものなので、共通認識が図りにくいといった問題があります。

そこで、オフフレーバーのキットがあれば、においの共通認識が図れると考えたのですが、当時はまだ市場にありませんでした。いくつかの試薬メーカーに問い合わせましたが、売れるかわからない製品の開発に消極的な感じでした。そんな中、林純薬工業さんだけが相談に応じてくれたことが、今回共同開発に至った経緯です。

ーオフフレーバーキットに選んだ試薬はどのようなものでしょうか。

食品のオフフレーバーの事例から代表的なにおい成分を選びました。オフフレーバー研究会の人たちで意見を寄せ合い、食品の品質管理をする上で実際に困ることが多い10種類を集めたものです。

ーオフフレーバーキットはどのような場面で使えるでしょうか。

たとえば、オフフレーバーが疑われる商品の出荷を未然に防ぐことができると考えています。工場の出荷担当者にオフフレーバーキットのにおいを学習してもらい、商品からオフフレーバーキットと同じにおいがした際には出荷を停止する、といった対応も可能です。

また、工場だけでなく、研究所や本社などにもオフフレーバーキットを配置しておけば、社内でにおいの共通認識を図ることができます。オフフレーバーの指標となり、原因特定の早期解決につながると期待しています。

ーオフフレーバーキットがオフフレーバー問題の解決に貢献できれば何よりです。

アナログな方法ではありますが、今のAIでもにおいまではわかりません。オフフレーバーキットによってにおいの共通認識が図れることは、オフフレーバー問題にとっては画期的なことです。これからもにおいの研究を通じて、社会貢献できるようにしていきたいですね。

    *本インタビューは2023年11月に行われたものです。

Profile

佐藤 吉朗会長


一般社団法人 オフフレーバー研究会 会長(http://www.fofsg.jp/
兼 東京家政大学 家政学部 栄養学科 教授


研究分野:食品衛生学/天然物有機化学

共同開発製品